『トゥスクルム荘対談集第五巻(哲学について)』

ツイート

対訳版

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121

一 [1]  ブルータス君、トゥスクルム荘対談集はこの五日目で終わりです。この日私たちは特に君が勧めるテーマについて議論しました。君が非常に丁寧に書いて私に献呈してくれた本や、君と交わした数々の会話から、幸福に生きるためには徳だけで充分だと君が確信していることを私は知っています。運命が与える様々な数多くの苦しみの事を考えれば、その証明は難しいことです。それを難なくやり遂げるためには相当の努力が必要でしょう。なぜなら、このテーマを扱う言葉には、哲学が扱うどのテーマよりも高い格調と気品が求められるからです。

[2]  というのは、最初に哲学の研究に従事した人々が、この問題のために他の全てを後回しにして、人生の最善の状態を追求することに専念した時、きっと彼らは幸福に生きることを望んで、この研究に熱意と労力を傾けたはずだからです。そして、もしも彼らによって徳という概念が発見され完成されて、幸福に生きるためには徳だけで充分だとなれば、彼らによって確立され私たちによって受け継がれてきたこの哲学という学問を誰もが讃えることでしょう。しかしながら、もしも徳が運命の奴隷で様々な予期せぬ災いに左右されて、自分自身を守る力を備えていないなら、幸福に生きる望みのためには、私たちは徳を頼みにするよりは、むしろ神に供物を捧げるべきだと思います。

[3]  実際、運命が私に課した厳しい試練を自ら顧みるとき、私は幸福に生きるためには徳だけで充分だとする考え方をしばしは疑い、人類の弱さ脆さに危惧を抱き始めていました。というのは、自然は私たちに弱い肉体を与え、その肉体に不治の病と耐え難い苦しみを付け加えて、その上に心を与えて、肉体の苦痛を味あわせるだけでなく、さらに苦悩と悲嘆に暮れさせようとしているのではないかと思ったからです。

[4]  しかし、そんな気持ちの中で、私は徳の力を徳自体ではなく、人々の弱さ、いやおそらく私自身の弱さから評価しては駄目だと自分自身を叱りました。というのは、もし徳が存在するとすれば(この疑いについては、ブルータス君、君の伯父さんである小カトー氏が晴らしています)、それは人間に起こりうる全ての事柄を自分より下に置き、それらを見下して人間の運命を軽視し、どんな欠点もなく、当てになるのは自分だけと考えているはずだからです。一方、私たちといえば、近づく不幸を恐怖によって倍化させ、目の前の不幸を悲しみによって増幅させ、自分の過ちを責めずに世の中の仕組みを責めようとするのです。

二 [5]  しかしながら、自分たちのこうした思い違いや諸々の欠点や過ちを治したければ、哲学を拠り所にすればいいのです。私は若い頃自分の意志で進んで哲学の懐に飛び込みましたが、逆巻く嵐に翻弄されて大きな不幸の真っ只中に投げ込まれた今、むかし旅立った同じ港に救いを求めて戻って来たのです。ああ、人生の先達、徳の探求者、悪徳の駆逐者である哲学よ。もしあなたがいなかったら、私だけでなく人々の暮らしはどうなっていたことでしょう。あなたは町を造り、ばらばらだった人々を共同生活に呼び入れ、最初は住居で、次には結婚で、やがて共通の文字と言語によって、人々を互いに結び合わせたのです。あなたは法律の発明者、倫理と秩序の教師だったのです。そしていま、私はあなたの助けを求めてあなたのもとに戻ってきたのです。以前の私は人生の大部分をあなたに委ねていましたが、今では人生の全てをあなたに委ねているのです。過ちに満ちた永遠の人生よりは、あなたの教えに従って立派に過ごすたった一日の方がよほど増しなのです。

[6]  ですから、私たちの人生に安心をもたらし、死の恐怖を取り去ってくれる他ならぬあなたの助けを、私たちは必要としているのです。それにも関わらず、哲学は人類への功績にふさわしい賞賛を与えられることはありません。それどころか、哲学は殆どの人から無視されるだけでなく、多くの人から悪口を言われているのです。自分の親の悪口を言うのは親殺しに匹敵する悪業です。自分の親の言うことは、たとえ理解できなくとも敬ってしかるべきです。それを非難するのは、人の道に反した恩知らずのすることなのです。ところが、私の考えでは、この思い違いと迷妄が無学な人たちの心を覆っているのです。なぜなら、彼らは遥かな昔を顧みることが出来ないので、初めて人類に文明をもたらしたのが哲学者たちだったとは思ってもみないからです。

三 [7]  このように哲学の実体は極めて古くから存在することを私たちは知っていますが、それにも関わらず、その名称はごく最近に生まれたことを認めねばなりません。というのは、人間の英知がその名前とともに古くから存在することは誰もが認めることだからです。それは神の次元の事と人間の次元の事に対する知識のことであり、あらゆる現象の原因を知っていることです。それ故に、古代の人々はこの知識に英知という素晴らしい名前を授けたのです。こうして、ギリシャ人から「ソフォイ」と呼ばれるあの有名な七人は、私たちによって賢者と認められただけでなく、そう呼ばれてきたのです。さらに何世代も前に遡ると、リュクルゴス(彼と同時代にホメロスも生きていたと伝えられています。それはローマ建国以前のことです)も、さらに英雄時代にまで遡ればオデュッセウスとネストールも賢者と認められて、そう呼ばれていたのです。

[8]  アトラスが空を支えている話、プロメテウスがコーカサス山に鎖でつながれた話、ケフェウス(=エジプト王)が妻(カシオペア)と義理の息子(ペルセウス)と娘(アンドロメダ)とともに星になった話が伝えられていますが、それは彼らが天上の出来事について知っていたお陰で、その名前が神話の中に紛れ込んだからなのです。そして、彼らを先例として自然現象の観察に熱意を注ぐ人たちが次々と現れましたが、彼らは全て賢者と認められて、その名で呼ばれたのです。賢者という名前はピタゴラスの時代まで使われていました。プラトンの弟子で第一級の学者だったポントスのヘラクレイデスによれば、ピタゴラスはフリウス(=ギリシャの町)に出かけて、その地の支配者であるレオンに学識あふれる講義を長々と行ったと言われています。ピタゴラスの才能あふれる話しぶりに驚いたレオンは彼に「君の一番得意な技術は何かね」と尋ねました。するとピタゴラスは「私は技術のことは何も知りません。私は哲学者なのです」と言ったのです。レオンはその新しい名称に驚いて、哲学者とはどういう人なのか、哲学者と哲学者以外ではどこが違うのか尋ねました。

[9]  それに答えてピタゴラスは次のように言ったのです。「私は人間世界は祭に似ていると思っています。というのは、祭にはギリシャ全土から大勢の人が集まって壮大な競技会が開かれますが、そこには身体を鍛えて栄光ある冠と名声を求めてやって来る人たちだけでなく、商売で一儲けしようとやって来る人たちもいます。その一方で、名声も利益も求めず、ただ見物するためだけに来る人たちがいます。彼らは生まれの良い自由な身分の人たちで、何がどのように行われているかを熱心に観察するのです。このように人々が別の町から祭の賑わいの中にやって来るのと同じように、私たち人間は別の世界から輪廻転生してこちらの世界にやってくるのです。そして、ある人は栄光を求め、ある人は富を求めるのですが、その一方で、そういった事は全く無視して、この世の成り立ちを熱心に観察する数少ない人たちがいます。彼らは、自らを英知の愛好者すなわち哲学者と呼んでいます。祭りの場では、自分のためには何も求めずただ見物する人たちが最も生まれの良い人たちですが、それと同じように、人間世界ではこの世の成り立ちを観察して認識することは、あらゆる営みの中で最も優れたことなのです」と。

四 [10]  しかしながら、ピタゴラスは哲学という名前を発明しただけでなく、哲学を発展させた人でもあります。フリウスでの会話ののち彼はイタリアに来て、いわゆるマグナ・グラエキアの住民と社会に優れた制度と文化をもたらしました。彼の教説については、おそらく別に述べる時があるでしょう。太古の昔からソクラテスの時代に至るまで、哲学者たちは数学と運動の法則と、万物の起源と帰結を扱っていました。また彼らは星の大きさと距離と軌道などあらゆる天体現象を熱心に研究していたのです。それに対して、アナクサゴラスの弟子であるアルケラオスに教えを受けたソクラテスは、初めて哲学を天上の世界から引き下ろして町に住まわせ、さらには家庭の中に招き入れて、哲学を人生と倫理と善悪の研究へ向かわせたのです。

[11]  ソクラテスは複雑な議論の仕方で様々なテーマを扱っただけでなく、偉大な人格の持ち主でした。その姿はプラトンによって記憶され書き留められて永遠に伝えられています。ソクラテスの影響を受けて、様々な学派の多種多様な哲学者たちが生まれました。その内で私が主に師事している学派は、ソクラテスが属していたと思われる学派です。したがって、私は自分の考えを自分からは言わずに、人の間違いを正して、あらゆる議論の中で、何が最も真実らしいかを追及してきたのです。この方法はカルネアデスが実に鋭くかつ雄弁に擁護したものなので、私は他の多くの場合だけでなく、今度のトゥスクルムにおいてもこの方法に従って議論することにしたのです。四日間の対談の内容はこれまでの巻に書き写して君に送ったとおりです。そして、五日目に私たちは同じ場所に腰を下ろして、何について議論するかを次のようにして決めたのです。

五 [12]  甲 先生、私は幸福に生きるためには徳だけで充分だとは思えません。

乙 これは困ったね。僕の友人のブルータス君は徳だけで充分だと言っているんだよ。それに、君には悪いが、私は君よりも彼の意見の方をずっと高く買っているんだ。

甲 もちろん、そうでしょう。しかし、今僕が問題にしているのは、あなたがどれほど彼を高く買っているかではなくて、今言った私の意見はどうでしょうかということです。これについて議論してもらいたいのです。

乙 まさか、幸福に生きるためには徳だけでは充分ではないと君は本当に思っているのかね。

甲 そのとおりなんです。

乙 ではどうだろうか。正しく、高潔に、賞賛に値するように、要するに、立派な生き方をするために、徳は充分な助けになるだろうか。

甲 もちろん充分な助けになると思います。

乙 とすると、君が立派な生き方をしていると思う人でも、その人を幸福な人だとは言えないと言うのかね。ひどい生き方をしている人でもその人を不幸な人だとは言えないと。

甲 そうです。というのは、拷問台の上でも正しく、高潔に、賞賛に値するように、つまり立派に振る舞えるからです。今、私が「立派に」という事がどういう事かお分かりでしょう。それは、冷静で威厳があって賢明で勇敢なことです。

[13]  これらの徳は拷問台にいる人にも見られますが、幸福な人生はそんな所には近寄りもしません。

乙 それは一体どういうことだね。冷静さと威厳と勇敢さなどの徳たちは拷問係の所に引っ立てられて、どんな罰も苦痛も喜んで耐えるというのに、幸福君だけは牢獄の外に残っていると言うのかね。

甲 あなたは私を納得させたければ、もっと別の言い方を探すべきです。その喩え話はまったく感心しません。ストア派の比喩は陳腐なだけでなく、薄い酒をさらに水で薄めたようなもので、何の値打ちもありません。一口嘗めただけでその不味さは分かりますよ。

確かに、拷問台にかけられた徳の一団の話は、立派な徳の姿を私たちにまざまざと見せてくれますから、幸福は彼らの元に急いで駆けつけて、彼らを決して見捨てたりしないと思いたくなります。しかし、徳の一団の姿から現実に心を向ければ、拷問台にいる人は果たして幸福かという問題は残ったままなのです。

[14]  ですから、今日はこの問題を考えましょう。ところで、現実の話ではなく喩え話を続けるなら、幸福に見捨てられて徳たちは不満なのではとのご心配には及びません。徳の中には思慮分別が必ずいますし、思慮分別は全ての善人が幸福とは限らないことを知っているからです。そして、思慮分別はマルクス・アティリウスやクイントゥス・カエピオーやマニウス・アキリウス(=戦争で敗れたローマの軍人たち)に起こった事を思い出して、幸福が拷問台に行こうとするのを押しとどめて、幸福は痛みや拷問の仲間ではないと言うでしょう。

[15] 乙 君がそのようなやり方で議論するのは構わないが、君が私に議論の仕方を指図するのはどうかと思う。それはともかく、これまでの私たちの四日間の議論には何か成果があったかどうか聞きたいね。

甲 もちろん成果はありますよ。それもかなりの成果があります。

乙 しかし、もしそうならこの問題はもうとっくに終わっていて、ほとんど結論が出ていることになるよ。

甲 どうしてそうなるのですか。

乙 なぜなら、理性を失い、無分別な感情に突き動かされて、心が高ぶって混乱と動揺に陥った人は、幸福な人生は送れないからだよ。

例えば、死は常に間近にあるし、痛みはいつやって来るかも分からないのに、死を恐れ痛みを恐れる人が幸福になれるわけがない。

さらにその人が、誰にでもある貧困と恥辱と悪評を恐れ、病気と失明を恐れ、さらには奴隷になること(これは個人だけでなく大きな国にもしばしば起きることだ)を恐れているとしたら、どうだろう。こんな恐怖を抱えていて幸福になれる人がいるだろうか。

[16]  さらに、その人がこうした未来の不幸に対する恐怖だけでなく、現にその不幸に遭って耐えている人はどうだろうか。その上に、追放、服喪、子供の死に出会うとしたらどうだろう。一体全体、こういう不幸に遭って悲しみに打ちのめされている人以上に不幸な人がいるだろうか。

さらに、次のような人はどうだろう。欲望の炎に燃えて、狂ったようにあらゆるものを激しく追い求め、満たされぬ欲望を抱えて、至る所で溢れるほどの快楽の盃を飲み干しながら、ますます激しい渇きに悩まされる。こういう人を最も不幸な人と言うのではないだろうか。

さらには、つまらぬことに気分を高ぶらせ、空虚な喜びにはしゃぎまわり、何も考えずに欣喜雀躍している人は、自分では幸福だと思っている分、それだけいっそう不幸ではないだろうか。

そして、こういう人たちが不幸な人たちだとすると、逆にどんな恐怖にも怯えず、どんな悲しみに溺れることもなく、どんな欲望にも駆り立てられず、どんな虚しい喜びにも有頂天にならず、物憂い快楽に陶酔することもない人たちは幸福な人たちだということになる。

例えば、海の穏やかさは、どんな微風にも波立たない状態だと言えるなら、心の平穏な状態は、心を動揺させるどんな感情も存在しない状態だと言っていい。

[17]  だから、もしも運命の気紛れにも人生の生老病死にも平然として、恐怖も不安も抱くことのない人がいて、もしその人が無欲で、虚しい喜びに己を失うことのないなら、その人は幸福な人であると言っていいのではないだろうか。

そして、もしもこれら全てが徳のなせる技だとするなら、幸福に生きるためには徳だけで充分だと言っていいのではないだろうか。

七 甲 そうですね。恐れも悩みもなく無欲で度を越した喜びに我を忘れることのない人が幸福であることは否定できません。それはあなたの言うとおりです。また、次の点も解決済みです。賢者はどんな感情にも襲われることがないのは以前の議論で証明されていますから。

[18] 乙 したがって、この件はもう片が付いていることになる。つまり、この問題は結論が出ていると思うね。

甲 大体はそうですね。

乙 しかしながら、そのやり方は数学者のやり方であって、哲学者のやり方ではない。というのは、例えば幾何学者が何かを証明しようとする時には、それと関わることが以前に証明されている場合にはそれは証明済みとする。そして、それを前提として、それまでに証明されていないことだけを扱う。一方、哲学者は自分が今扱っている問題が何であれ、それに関係することならたとえ別の場所で話したことでも全てに言及するからだ。

 そうでないなら、ストア派の人たちは、幸福に生きるために徳だけで充分かどうか尋ねられた時に、長々と語ることはないはずだ。「徳以外に良い事は何もないことは以前に証明済みだ。これを前提とすれば、幸福に生きるためには徳だけで充分である。そして、後者から前者が導かれるなら、前者も後者から導かれる。すなわち、もし幸福に生きるためには徳だけで充分なら、徳以外には良い事は何もない」と答えれば充分なのだ。

[19]  しかし、ストア派の人たちはそんなやり方はしない。例えば、彼らは徳と最高善を別々の本で扱っていて、そこから必然的に「幸福に生きるためには徳だけで充分である」となるにも関わらず、彼らはこの問題も別に論じている。

 というのは、どんな問題でも、それぞれ特別な説得力をもって特別に証明すべきだからだ。これほど重要な問題は特にそうする必要があるんだね。

 なぜなら、哲学がこれほど何かをはっきりと言明したことはないし、哲学が約束したことで、これほど素晴らしくて有益なことはないからだ。では、哲学は何を約束しているのか。何と、哲学の掟に従う人に運命から身を守る武器を与え、立派で幸福に生きるための砦を与えると約束しているのだ。つまり、哲学の掟に従う人に永遠に幸福な人生を約束しているんだよ。

[20]  しかし、哲学がこの約束をどこまで実行できるかは後で見ることにして、差し当たり私はこの約束は高く評価したい。

 というのは、クセルクセスは、あらゆる運命の恩恵を受けていたにもかかわらず、騎兵隊にも歩兵隊にも大艦隊にも、無尽蔵の金塊にも満足せず、自分を満足させてくれる新たなものを見つけて来た人に褒美を出したが、欲望には際限がないので、満足することがなかったからだ。

 私は「幸福のためには徳だけで充分である」ことにもっと自信が持てるようにしてくれる人がいたら、懸賞を出して呼び寄せたいと思うほどだよ。

八 [21]  甲 私もそう思います。しかし、ちょっとお尋ねしたいことがあるのです。いまお話しになったことの中で、一方から他方が相互に導かれるという話には私も同意します。つまり、もし徳だけが良い事なら、幸福に生きるには徳だけで充分である。それと同じように、もし幸福な人生は徳次第なら、徳以外に良い事は何もないことです。ところが、アンティオコス(=アカデメイア派)とアリストス(=アンティオコスの弟、アカデメイア派)に従っているあなたの友人のブルータスは、こうは考えていません。というのは、ブルータスは、徳以外に良い事があるとしても、幸福に生きるには徳だけで充分であると考えているからです(=善には心の善、肉体の善、運命あるいは外部の善の三種類あるとするアリストテレスらペリパトス派とアカデメイア派の考え方)。

乙 すると、君は私にブルータスに反論しろと言うのかね。

甲 それはお好きなように。私は進行役ではありませんから。

[22] 乙 ブルータスと私のどちらに一貫性があるかについては、後で話そう(=30節以下)。君の言う意見の相違は、しばしば私とアンティオコスとの間でもよくあったし、最近ではアテネで最高指揮官としてアリストスの家に泊っていた時、アリストスとの間でもあったことだ。私は「人が悪い事に取り囲まれている時には幸福にはなれないが、もし仮に肉体の苦痛と不運が悪い事なら(=ペリパトス派の言うように。23節参照)、賢者は悪い事に取り囲まれる可能性があることになってしまう」と言ったんだ。

 それに対して彼らは次のように言っている(この主張はアンティオコスは色んな所で繰り返しているものだ)。「完璧に幸福に生きるためには徳だけでは充分ではないが、幸福に生きるには徳だけで充分である(=心、肉体、運命あるいは外部の三つの善を完備した幸福をペリパトス派は完璧な幸福と考える)。たとえ完璧でなくても大体の内容から名前が付けられるものは沢山ある。例えば、力、健康、富、名誉、栄光などがそうで、これらは部分ではなく全体から判断される。それと同じように、幸福な人生も、たとえ何かが欠けていたとしても、大体の内容からそう呼ばれる」と。

[23]  今この説を詳しく紹介する必要はないが、私はこの主張は一貫性に欠けていると思う。なぜなら、幸福な人間がもっと幸福になろうとして何かを求めるとは私には思えないからである。そもそも、もしも何かが欠けているとすればその人は幸福ですらない。さらに、大体の内容から判断されて名前が付けられることは、それが当てはまる場合もあるだろう。だが、ペリパトス派が「悪い事には三種類ある(=心、肉体、運命あるいは外部の悪)」と言うときに、その内の二種類の悪い事にことごとく悩まされて、あらゆる悪運に付きまとわれ、あらゆる肉体の苦痛に襲われて弱っている時に、この人は完璧に幸福な人生はもちろん、幸福な人生にも少し欠けるだけだとはとても言えない。

九 [24]  テオフラストス(=ペリパトス派)はこの反論に耐えられなかった。彼は鞭打ちや拷問や苦痛、祖国の滅亡や追放、子供を失くすことには、人生を不幸にする大きな力があると考えるに至った。これは卑屈で惨めな考え方だったので、その後の彼はもう威厳を持って朗々と話すことはなくなってしまったんだ。

 彼の意見が正しいかどうかは別として、それが一貫性を持っているのは確かだ。私は前提を受け入れて結論だけ批判する積りはないんだよ。全ての哲学者の中で最も優雅で学識のあるこの哲学者が良い事には三種類ある(=心、肉体、運命あるいは外部)と言った時には、彼はそれほど批判にさらされなかった。ところが、彼が幸福な人生について本を書いて、その中で拷問台の上で責め苦に遭っている人は幸福ではありえない事を詳しく述べた時、哲学者たちから集中砲火を浴びたのだ。彼はその本の中で「幸福な人生は刑車(=ギリシャ人が使用した責め具の一種)には登らない」と言ったと見做されているんだ。実際にはテオフラストスはそうは言ってはいないが、そう言ったも同然だったからだ。

[25]  もし私がテオフラストスと同じく肉体の苦痛と不運を悪い事だと認めるなら、彼が悪い事だと言う事は全ての善人に起こる可能性があるから、全ての善人が幸福であるとは限らないと彼が言うのを私は非難できない。次に、テオフラストスが『カリステネス』という本の中で次のことわざを賞賛した時にも、哲学者たちは本や講演の中で次々と彼を非難した。

人生を支配するのは、人間の英知ではなく運命である。

 これほど女々しいことを言った哲学者はいないと言うのだ。確かにそのとおりである。しかし、私はこれほど筋の通った発言はないと思う。もしも数多くの良い事が肉体に依存し、それ以外の数多くの良い事が偶然と運命に依存しているなら、肉体に関わる出来事と外部の出来事の両方を支配する運命が人間の英知より力があるのは、理の当然だからだ。

[26]  かと言って、エピクロスの真似をするわけにもいかない。彼はいつも立派なことを言い触らしているが、自分の発言の一貫性には頓着しないからだ。例えば彼は簡素な生き方を賞賛している。確かにこれは哲学者にふさわしい事だが、ソクラテスやアンティステネス(=ソクラテスの弟子、犬儒派の祖)が言ったのならともかく、快楽が最高善だと言う人の言う事ではない。

 また、彼は「高潔に賢明に正しく生きていなければ、誰も楽しく生きることはできない」と言っている。これほど哲学者にふさわしい重みのある言葉はないと言いたいところだが、彼の言う「高潔に賢明に正しく」の目的は快楽なのだ。

 また「運命は賢者に対しては殆ど無力である」という言葉ほど立派なものはない。しかし、痛みが最大の悪であるだけでなく唯一の悪であると言っている人、運命に対して勝ち誇っている時にも全身の激しい痛みに苦しむかもしれない人が、こんな事を言うだろうか。

[27]  メトロドロス(=エピクロスの弟子)は同じことをもっとうまい言葉で次のように言っている。「運命よ、私はお前に勝った。お前を攻略して、侵入路を全て封鎖した。だから、お前はもう私には近づけないぞ」。不名誉なこと以外には悪い事はないと考えるキオスのアリストン(=ストア派)やストア派のゼノン(=キティオンのゼノン)がこれを言ったのなら、非常に立派な言葉である。しかし、メトロドロスよ、全ての良い事を内臓と骨髄に置いて、究極の善は健全な肉体とその確かな希望であると定義する君が、運命の侵入路を封鎖したと言うのかね。一体どのようにやったのかね。その善が今にも奪われかねないというのに。

十 [28]  しかしながら、無学な人たちはこういう言葉に引かれるし、こういう考え方のおかげでエピクロス派の信者は多い。だが、鋭い洞察力のある人なら、その人の言葉ではなく、その人の中身に注目するはすだ。

 それは、この対談の中で私たちが受け入れている「全ての善人は幸福である」という考え方についても同じである。私の言う善人がどんな人かは明らかだ。全ての徳を備えた人のことを賢者と言いまた善人と言うのである。では、幸福な人とはどんな人のことだろうか。

 私の言う幸福な人とは、多くの良い事に囲まれていて、一切の悪い事に関わりのない人のことだ。私が幸福という時、この言葉は全ての悪い事が排除されて良い事だけを含んでいる完璧な状態という意味なんだよ。

[29]  しかしながら、もしも(=ペリパトス派が言うように)徳(=心の善)以外にも良い事(=肉体と運命あるいは外部の善)があるとしたら、徳はこの完璧さを達成できない。なぜなら、もし私たちが(=ペリパトス派が言うように)貧困、無名、卑しい生まれ、孤独、身内の死、肉体のひどい痛み、健康の喪失、病弱、失明、祖国の滅亡、追放、さらに奴隷状態を悪い事だと考えるなら、私たちはこうした大量の悪い事に取り巻かれるだろう。すると、賢者であってもこれほど多くの悪い事に(さらにもっと多くの悪い事が起こるかもしれない)取り囲まれる可能性があることになる。なぜなら、これらをもたらすのは運であり、賢者はその攻撃を受けるかもしれないからだ。しかるに、もしそれらが実際に悪い事なら、賢者は常に幸福であり続けると誰が証明できるだろうか。なぜなら、賢者はこれら全てに一度に取り囲まれるかもしれないからだ。

[30]  だから、私は友人のブルータスにも、私たちの共通の師(=アンティオコスとアリストス)にも、昔の哲学者たち、アリストテレス(=ペリパトス派)、スペウシッポス(=以下、アカデメイア派)、クセノクラテス、ポレモンにも簡単に譲歩するわけにはいかないのだ。というのは、彼らは、今私が上で挙げたものを悪い事の中に含めていながら、賢者は常に幸福だと言っているからだよ。

 しかし、もし彼らがこの賢者という輝かしくも美しい称号、ピタゴラスとソクラテスとプラトンに最もふさわしいこの称号が気に入っているのなら、彼らは体力、健康、美、富、名誉、権力という魅力溢れるものを軽蔑し、これらが無いことには目もくれない決心をすべきなのだ。

 その時こそ彼らは、「私は運命の攻撃も大衆の評判も苦痛も貧困も恐れない。私は全てに自己充足している。そして、自分の意のままにならない事を良い事と見做すことはない」と明言できるだろう。

[31]  しかし、こうした偉大で高貴な人間にふさわしいことを述べながら、同時に大衆の善悪に対する考え方を採用するのは許されることではないんだ。エピクロスは賢者の栄光に憧れて哲学者になった。驚いたことに、彼もまた賢者は常に幸福であると言っているのだ。彼はこの考えの崇高さに引かれたが、もし自分の言葉が聞こえたら決してそんなことは言わなかったはずなんだ。痛みが最大の、あるいは唯一の悪だと言う人間が、賢者は痛みに苛まれているまさにその瞬間に「これは何と心地よいことか」と言うと考えるほど矛盾したことがあるだろうか。要するに、哲学者の価値を判断するときには個々の発言ではなく、言っていることの整合性と一貫性に依るべきなんだよ。

十一 [32]  甲 それはその通りだと思います。しかし、あなた自身も一貫性を欠かないようにして頂かないといけません。

乙 それはどういうことだい。

甲 というのは、私は『善と悪の究極について』の第四巻(=56〜58節)を読んだばかりだからです。あなたがあの本のカトーへの反論の中で証明しようとしておられたのは、言葉の新しさを除けば、ゼノンとぺリパトス派の間には何の違いもないということでした(私もそう思います)。もし両者の主張に違いがなく、幸福に生きるためには徳だけで充分であるというゼノンの説に一貫性があるなら、ペリパトス派が同じことを言っていけないわけがあるでしょうか。だって、哲学者は言葉ではなく中身で判断すべきなのですから。

[33] 乙 君は私が前に言った事や書いた事を証拠にして議論を仕掛けて来るが、あれはもう封印して変えられないんだ。そういうやり方は教義に縛られて議論する連中を相手に使うものだよ。ところが、私たちアカデメイア派は日々新たな気持ちで生きている。私たちは真実らしさで胸打たれたことの全てに言及する。つまり、私たちだけは何物にも縛られないんだ。ただ、ゼノンと彼の弟子のアリストンの考え、すなわち、徳だけが善であるというのが真実かどうかは、さっき一貫性の所で触れたばかりなのでここでは問わずに(=21,22節。実際には以下で証明している)、もし徳だけが善なら幸福に生きるためには徳だけで充分だという考え方を検討にしよう。

[34]  だからとりあえずは、賢者は常に幸福であるというブルータスの考えを認めることにしよう(彼の考えが矛盾していることは、彼も気付くだろう)。この輝かしい考え方にブルータスほどふさわしい人はいないからだ。それに対して、私たちは、賢者は完璧に幸福であるという事を忘れないようにしよう(=ブルータスたちはほぼ幸福であると考える)。

十二 もしキティオン(=キプロスの町)出身のゼノンが単なる言葉の職人で古代哲学の中では無名の新参者だと言うなら、この考え方(=幸福のためには徳だけで充分である)の権威をプラトンに求めよう。プラトンはその作品の登場人物に、徳以外に善はないということを繰り返し言わせているからだ。

[35]  例えば、『ゴルギアス』の中のソクラテスは、当時最も幸福であると思われていたペルディッカスの息子アルケラオス(=マケドニア王)が幸福かどうか尋ねられたときに、こう答えている(=470D以下)。

「彼と話をしたことがないから、私には分からない」と。
「そうなんですか。他に知る方法はないのですか」。
「まったくない」。
「そうすると、あなたはベルシヤ大王でさえ幸福かどうか分からないと言うのですか」。
「彼がどれほど教育を受けているのか分からないのに、彼がどれほど善い人間か分かるだろうか」。
「何ですって。幸福な人生はそんなことにかかっているとお考えなのですか」。
「そうだ。善人は幸福であるし、悪人は不幸であると私は確信している」。
「では、アルケラオスは不幸というわけですね」。
「そうだ。もし彼が不正な人間ならばね」。
 ここからプラトンは幸福な人生はひとえに徳のみに依存していると考えているとは思えないだろうか。

[36]  さらに、ソクラテスは追悼演説(=『メネクセノス』247E以下)の中で、どう言っているだろうか。「幸福な人生になるかどうかはひとえに自分次第であると考えて、他人の運不運に左右されず、他人の成功に依存して浮き沈みを強いられることのない人、そういう人こそ最善の生き方を知っている人だ。こういう人こそ、自制心のある人、勇気のある人、賢明な人であり、人生の浮き沈みに際しても子供の生死に際しても、中庸を説く古い格言に大人しく従うだろう。つまり、どんな時も度を越して喜んだり悲しんだりしないのである。なぜなら自分の一切の希望を自分自身の内に置いているからである」。プラトンはまるで神聖な泉のようなものだ。これからする話も出展は全てプラトンだよ。

十三 [37]  万物の共通の親である自然について始めるのが一番いいだろう。自然によって生み出された物は、動物であろうと、大地から生まれて根に支えられている植物であろうと、どんな物でもそれぞれの種に応じて完璧であるようにと自然は定めている。だから、高い木もあり、低い木もあり、もっと低くて地面から上へ伸びられない植物もある。常緑の物もあれば、冬に落葉して春の陽気に葉を出す植物もある。しかし、そのどれもが内部の動きと、各々の中に閉じ込めた種子の力によって、豊かな花と果実と実をつける。外部の力の妨害がなければ、どれもそれぞれの出来る範囲で完璧なのだ。

[38]  それに対して、動物は生まれつき感覚を持っているから、自然の本来の力は動物の方が分かりやすい。つまり、泳げる動物は水中の住民となり、翼のある動物は空の自由を楽しみ、ある物は地面を這い、またある物は地上を歩くが、これは自然が定めたことである。その中で、ある物は単独でさまよい、ある物は群れをなしてさまよう。また、ある物は凶暴で、ある物は大人しく、ある物は地面の下に隠れて暮らしているが、それも自然が定めたことである。

 これらは各々別の動物の生き方に変われないために、自分の分を守って、自然の定めに従っている。そして、自然は各動物にそれぞれ異なる優れた物を与えて、各動物はそれを大切にして決して捨てることがないが、人間にはそれより遥かに優れた物を与えた。もっとも、他と比較出来るものだけを優れた物と言うべきであって、人間の心は神の精神に由来するので、こう言うのが正しければ、神ご自身以外のどんなものとも比較できないものである。

[39]  だから、もし人間の心が大切に育てられて、その眼力が人間の過ちによって曇らないように保たれるなら、それは完璧な精神となる。これがすなわち完全な理性であり、取りも直さずそれが美徳なのである。そして、何の不足もなく自分自身に満ち足りて完璧である物は何であれ幸福なら、そしてこれが徳の特徴であるなら、必然的に、徳を備えた人間は全て幸福だということになるんだ。そして、この点は私とブルータスの意見が一致するところだ。ということは、アリストテレスとクセノクラテスとスベウシッポスとポレモンとも意見が一致することになる。

[40]  しかしながら、私は徳を備えた人間は完璧に幸福だと言っている。というのは、自分が持っている良い物に確信の持てる人は、幸福に生きるためには他に何も必要としないからだ。そもそも、自分が持っている良い物に確信を持てない人がどうして幸福になれるだろうか。しかし、良い物を三つに分けた人たちが自分の良い物に確信を持てないのは当然である。

十四 なぜなら、自分の健康や幸運がいつまでも変わらないとは誰も確信を持って言えないからだ。実際、自分の持つ良い物が永遠に不変でないなら、誰も幸福にはなれない。そして、ブルータス君たちの言う良い物はどれも永遠に不変ではないんだよ。

 あるスパルタ人の次の言葉はブルータス君たちにも当てはまると思う。その人は全ての海岸に多くの船を送ったと自慢する商人にこう言った。「船のロープ頼みのそんな幸運など羨ましくもなんともない」。

 幸福な人生を完璧にするものが、失うかもしれない物であっていいはずがないんだ。なぜなら、幸福な人生に欠かせない物の中に涸れたり消えたり倒れたりするものがあってはならないからだ。というのは、幸福な人生に欠かせない物を失うかもしれないと心配している人は幸福にはなれないからだよ。

[41]  なぜなら、私の言う幸福な人とは、周囲を難攻不落の堡塁で完全に守られているので、心配の種をわずかどころか一切持っていない人のことだからだ。無実の人は軽い罪を犯した人ではなく全く罪のない人のことであるように、心配事のない人とは些細な心配事のある人ではなく一切心配事のない人のことでなければならない。勇気とは差し迫る危険や苦難や苦痛に耐えるだけでなく、一切の恐怖を感じないことなんだよ。

[42]  そして、もし徳だけが良い事でなければ、こうはならないだろう。逆に、もし多くの悪い事に囲まれていたり、囲まれるかもしれないなら、私たちの熱望する安心感(いま私が安心感というのは、いかなる苦悩もない状態であり、幸福な人生とはそういう状態である)をどうして手に入れられるだろうか。もし全ては自分次第であると考えるのでなければ、どうして私の言う賢者のようになれるだろうか。どうして人間の生老病死を些細な事と見做して、気高く崇高でいられるだろうか。

 フィリッポス(=マケドニア王、アレキサンダー大王の父)が手紙でスパルタ人に対して「お前たちの好きなようにはさせないぞ」と脅した時、スパルタ人は、「我々が死ぬことまで止められのか」と言ったんだ。これほど勇気ある国民がいるのだから、私たちが求める人を見つけるのは遥かに容易いはずだ。さらに、今言った勇気だけでなく、そこに全ての感情を支配する自制心が加われば、幸福に生きるためにはもう何も必要としないんだ。といのは、勇気のおかげで悲しみと恐怖から解放され、自制心のおかげで欲望と度を越した喜びが制せられるからたよ。これらすべてが徳のなせる技であることは証明してもいいが、それはこれまでの四日間の討論で済んている。

十五 [43]  自制心が幸福な人生をもたらすのに対して、様々な感情は不幸をもたらすんだ。そして、感情は二通りの生まれ方をする。というのは、悲しみと恐怖は悪い事に対する思い込みから生まれるのに対して、度を越した喜びと欲望は良い事に対する思い違いから生まれるからだ。そして、それらはどれも熟慮と理性に反して生まれる。だから、もしこのような互いに矛盾する厄介な感情から解放された自由な人がいるとしたら、君はきっとその人を幸福な人だと言うだろう。ところで、賢者は常にそのような自由な心の持ち主なんだ。だから賢者は常に幸福なんだよ。さらには、全ての良い事は喜ばしい事だ。喜ばしい事は誇らしい事として公表すべきだ。その上、このような事は名誉な事だ。もしそれが真に名誉な事だとすると、それは真に賞賛に値する事だ。賞賛に値する事は、必ずや高潔な事に違いない。だから、良い事は高潔な事(=徳)なんだよ。

[44]  ところが、ペリパトス派が良い事の中に含めている事(=肉体と運命あるいは外部の善)を、彼ら自身も高潔な事とは呼んでいない(→それらは高潔な事でないから良い事ではない)。だから、良い事は高潔な事だけなんだ。ここから、幸福に生きるためには高潔さ(=徳)だけで充分だということになる。したがって、いくら豊富にあっても人を不幸にする可能性のあるものは良い事とは呼べないし、そう考えるべきでもないんだよ。

[45]  実際、健康と体力と美貌、鋭敏で完璧な感覚、さらにお好みなら、機敏さと敏捷性、さらに富と要職と権力と資産と名声で抜きん出ている人がいて、その人が不正な人間で、自制心がなく、臆病で、知性が鈍いかゼロだとすれば、そういう人のことを不幸な人と言うのを君はためらわないだろう。これだけの物に恵まれている人が不幸になるとすれば、それらが良い事だとはとても言えないだろう。

 ここで注意すべきことは、穀物の山が一種類の穀物から出来ているように、幸福な人生も同種の部分から成り立っているということだ。そして、もしそうなら幸福は一種類の良い事、つまり高潔さ(=徳)だけから成り立っていることになるんだよ。

 もしそれが高潔さだけでなく様々な良い事の寄せ集めだとしたら、その寄せ集めから高潔が成り立つことなどあり得ないことだ。そしてもし、そこから高潔さを取り去ってしまえば、どうしてそんな寄せ集めから幸福が成り立つと言えるだろうか。実際、何であれ良い事は望ましい事である。さらに、望ましい事は必ずや是認される事である。しかるに、是認される事は好ましい事であり、それゆえ価値ある事である。そして、もしそうなら、必然的にそれは賞賛されるべき事である。したがって、何であれ良い事は賞賛されるべき事である(→高潔さは賞賛されるべきことである)。以上から、良い事は高潔さ(=徳)だけとなる。

[46]  もしこう考えないなら、良い事と呼べるものは沢山あることになる。富は除外する。富は誰でも、どんなに相応しくない人でも手に入れられるから、私は良い事には含めないよ。良い事とは誰にでも手に入るものではないからだ。名声と大衆の人気も除外する。これらは愚か者とならず者の歓声によって生まれるからだ。確かに、次のような些細な事を良い事と呼ぶことはあるだろう。例えば、白い歯、魅力的な目、いい顔色、そしてオデュッセウスの足を洗っていた時にアンティクレイアが褒めた次の事がそうである(=ローマの詩人パキュビウスの『ニプトラ』より)。

話し方のおだやかさ、身体のしなやかさ、

 もし私たちがこれらを良い事に含めるなら、哲学者が難しい顔をして、大衆や無知蒙昧な連中の意見よりも真剣に何かを言う必要はなくなってしまうだろうね。

[47]  しかし、「ペリパトス派が『良い事』と言っているものを、ストア派は『優れたもの』とか『望ましいもの』と呼んでいる」と言うかもしれない。確かにそうだが、ストア派はそれらによっては幸福な人生は完璧にならないと言っているんだよ。一方、ペリパトス派はそれらなしには幸福な人生はないし、仮に幸福になったとしても、完璧な幸福にはならないと言っている。しかし、私たちはそれらなしでも完璧な幸福は得られると言っているんだ。そしてこの考えは、ソクラテスの推論によって確認されているんだよ。というのは、かの哲学の第一人者は、次のように推論しているからだ。「各々の性格がその人間の人となりを表し、人となりはその人の話し方を表す。さらに、その人の行動は話し方に似通い、生き方は行動に似通う。しかるに、善人の性格は賞賛に値する。それゆえ、善人の人生は賞賛に値する。賞賛に値する人生は、高潔な人生である。以上から、善人の人生は幸福である」と。

[48]  しかし、一体全体、こんな事は私たちの以前の対談で充分に分かっている事ではないか。それとも、賢者は感情という心のあらゆる興奮状態から常に免れており、その心には常に最もおだやかな冷静さがあると話したのは、単なる慰みと暇つぶしのためだったのだろうか。

 節度があり冷静で恐怖も悲しみもなく、度を越して喜ぶこともなく無欲な人が幸福な人ではないだろうか。ところが、賢者は常にそういう人であり、したがって、常に幸福な人なのである。ところで、善人は何を考え何をするにも賞賛に値することを目標にするのではないだろうか。一方、善人は何を考え何をするにも幸福な人生を目標にしている。すると、幸福な人生は賞賛に値することである。ところで、賞賛に値する事は徳なくしてはあり得ない。したがって、幸福な人生は徳によってもたらされるのだ。

十七 [49]  そして、この推論は、次のようにしても導かれる。不幸な人生には賞賛と誇りに値するものは何もないし、不幸でも幸福でもない人生もそれは同じだ。しかし、中には賞賛と誇りと自慢に値するものを持つ人生もあるんだよ。例えば、エパミノンダスの人生がそうだ。

私の作戦でスパルタ人の栄光を刈り取った。

 また、大スキピオの人生がそうだ。

日が昇る所からマエオタエの沼沢地(=アゾフ海)を越えた至る所、
わが業績に匹敵しうる人は誰もいない。

[50]  もしそんな人生があるなら、誇りと賞賛と自慢に値する人生は幸福な人生と言っていい。なぜなら、幸福な人生はまさに賞賛と自慢に値するからだ。これを前提すると、ここから導かれる結論は明らかだ。つまり、もしこれが高潔な人生であるのに幸福な人生でないとすると、必然的に幸福な人生より良い物が別にあることになる。なぜなら、高潔さが最善であることはペリパトス派も認めるはずだからだ。すると、幸福な人生は最善ではないことになる。しかし、これはおかしい。また、彼らは不幸な人生になるには悪徳だけで充分だと認めている。それなら、彼らは幸福な人生になるには徳だけで充分だと認めるべきなんだ。なぜなら、反対の事からは必然的に反対の結果が生まれるからだよ。

[51]  ここで「クリトラオス(=ペリパトス派の哲学者)の天秤」の意味を考えてみよう。彼は「天秤の左の皿に心の善を置き、右の皿に肉体の善と外部の善を置くと、両者のバランスを取るためには右の皿に大地や海を置く必要がある」と言っているんだ。

十八 クリトラオスだけでなく、哲学界の重鎮クセノクラテスも徳を大いに称揚して、それ以外の物を軽んじて退けている。だから、彼らは幸福な人生だけでなく、完璧に幸福な人生のためにも徳だけで充分であると言うべきなんだ。さもなければ、きっと徳は見捨てられてしまうだろうね。

[52]  例えば、悲しみに襲われる人は必然的に恐怖に襲われる。というのは、恐怖は将来の悲しみに対する悩ましい予測だからだ。一方、恐怖に襲われる人はまた臆病、心配、狼狽、弱気にも襲われる。その結果、その人はしばしば敗者になってしまい、アトレウスの次の教えが自分には当てはまらないと考えるはずだ。

人生においては、敗北を知らぬように心がけておくべきだ。

 つまり、私が言ったように、その人は敗者になってしまうが、それだけでなく奴隷になってしまうだろうね。それに対して、徳は永遠に自由であり永遠に無敵であるべきだと私は考えている。さもなければ、徳は見捨てられてしまうからだよ。

[53]  さらに、もし善く生きるためには徳だけで充分だとすれば、幸福に生きるためにも徳だけで充分なんだよ。なぜなら、私たちが勇気をもって生きるためには徳だけで充分だからだ。もし私たちが勇気をもって生きるなら、私たちは安心して何物をも恐れず、敗者になることは永遠にないだろう。その結果、私たちは何も後悔せず、何物にも不自由することなく、何物にも邪魔されることはないだろう。つまり、全てが豊かで完璧で望み通りであり、だから幸福なんだよ。ところが、勇気をもって生きるためには徳だけで充分だ。だから、幸福に生きるためには徳だけで充分なのだ。

[54]  愚か者は望んだものを手に入れても、決してそれで充分だとは考えない。一方、賢者はいつも今あるもので満足しているし、自分自身に不満を抱くことはないんだ。

十九 ガイウス・ラエリウスは一度しか執政官にならなかっただけでなく、前年には落選もしている(彼のように賢明で立派な人が落選したのは、彼が国民に拒否されたのではなく国民が善い執政官に拒否されたのだ)。しかし、もし選べるとしたら、君はラエリウスのように一回だけ執政官になるのとキンナのように四回も執政官になるのとどちらがいいかね。

[55]  君の答えは分かっている。君の人となりは私も知っているからだ。こんな事を誰にでも聞く積りはない。おそらく、他の人なら執政官になるのは一回より四回の方がいいと言うだろう。それだけでなく、多くの有名人の生涯を全部足したより、キンナの一日の方がいいと答えるだろうね。

 ラエリウスは誰かに指一本触れただけでも償いをするような人だ。一方のキンナは自分の同僚執政官グナエウス・オクタヴィウスの首を刎ねろと命じた人だ。その他にも、国の内外で勇名を轟かした最高の貴族プブリウス・クラッススとルキウス・カエサルと、私が聞いた中で最大の雄弁家だったマルクス・アントニウスと、私にとって礼儀と機知と快活と人間性の鏡だったガイウス・カエサル(=有名な弁論家。独裁者とは別人)の首を刎ねろと命じた人だ。

 では、彼らを殺したキンナは幸福だったろうか。私は逆に彼は不幸だったと思う。それは単に彼があんなことをしたからだけではなく、あんなことをしていい権力を手に入れたからだよ。もっとも、誰も過ちを犯していいはずはないので、これは言葉の誤用だ。というのは、私たちは人に反対されないことを「していい」と言うからだ。

[56]  マリウスは、キンブリー族に勝った際にその栄光を同僚のカトゥルス(もう一人のラエリウスと言っていいほど二人はよく似ている)と分かち合った時と、内乱に勝利を収めた際に怒り狂って、カトゥルスの友人たちの哀願にも関わらず、一度ならず「カトゥルスは死ぬがよい」と繰り返した時とでは、いったいどちらが幸福だったろうか。この時、この残酷な命令に従ったカトゥルスは、この残酷な命令を下したマリウスより幸福だったはずだ。なぜなら、不正は受ける方が加えるよりいいからだよ。また、カトゥルスのように、差し迫る死に自ら一歩踏み出す方(=カトゥルスは自害した)が、マリウスのように、あれ程の人を死なせて六度の執政官の経歴を曇らせて晩節を汚すよりもいいからだよ。

二十 [57]  ディオニュシオス(=一世)は25歳でシラクサを支配し始めてからを38年間シラクサの独裁者だった。あの美しく豊かな町を彼は隷属下に置いて抑圧したんだ。ところで、この人は信頼できる作家によって次のように言われている。すなわち「彼は極めて質素な生活をして、勤勉で有能な政治家だった。しかし、彼の性格は邪悪で情け容赦がなかった」と。だから、真理に対する洞察力のある人が見れば、彼は必然的に非常に不幸な人間だったはずだ。というのは、彼は万能の権力を手にしたと思っていた時でさえも、自分が熱望していたものを手に入れられなかったからだよ。

[58]  ディオニュシオスは名門の立派な両親から生まれて(この点に関しては別の伝承もある)、友人も多く、親類付き合いも盛んに行い、ギリシャ風に若者の恋人も持っていたんだ。しかし、彼は誰も信用せずに、金持ちの家から選び出して解放してやった奴隷たちと、外国から来た蛮族出身のやくざ者たちに身辺警護を任せていたんだ。

 このように、彼は邪悪な支配欲のために、いわば自らを牢獄に閉じ込めていたんだ。その上、彼は床屋に自分の首を晒したくないので、自分の娘に散髪をさせたんだよ。その結果、王の娘は卑しい下女の仕事を身につけて、まるで女理髪師のように父親の散髪をしたのさ。ところが、娘が大人になると剃刀を取り上げて、熱した胡桃の殻で髭と髪の毛を焼かせたんだ。

[59]  また、彼にはシラクサ市民のアリストマケーとロクリス出のドリスという二人の妻がいたが、彼は夜に彼女たちのもとに通う時には、前もって部屋中をくまなくを調べさせたんだ。その上、寝台を中心としてその周囲に広い堀を巡らせて、その堀を渡る時には木製の橋を置いて、寝室の扉を閉める度に橋を取り込んだ。また、公共広場の演壇に立つようなことはせずに、いつも高い塔から演説したんだよ。

[60]  また、ある時彼はボール遊びをしたくなって(彼はこれが好きでよくしていた)、シャツを脱いで自分が愛する若者に剣を預けたんだ。その時友人の一人が冗談で「おや、あなたはこの若者にご自分の命をお預けになるのでございますね」と言うと、恋人の若者が笑ってしまった。それを見たディオニュシオスは二人とも殺せと命じたんだ。その友人は彼を暗殺する方法を教えたからだし、愛人は言われたことに笑って同意したからという理由だったんだ。

 これは彼の生涯最大の痛恨事だったらしい。自分の恋人を殺してしまったからなんだよ。このように自制心のない人間の欲望はあちらを立てればこちらが立たずとなって、両立しないんだ。

 もっとも、この独裁者は自分の不幸を知っていたんだ。

二十一 [61]  というのは、次のような話が伝わっているからだ。彼が取り巻きのダモクレスと話していると、相手は彼が強大な軍隊と富と権力を持って豪華な宮殿で豪勢な暮らしをしていることを挙げて「あなたほど幸福な人はいませんよ」と言ったので「ダモクレス君、この暮らしがそんなに気に入ったのなら、この暮らしを自分で体験してみて、私の幸福とやらを味わってみないかね」と言ったんだ。

 ダモクレスは是非そうしたいと言った。すると、ディオニュシオスは豪華な刺繍のある美しい織物で覆われた金色の長椅子に彼を座らせて、居並ぶ食器棚を彫金細工のある金と銀の皿で飾った。それから、選り抜きの美少年たちを食卓の給仕に着かせて、ダモクレスの御用を伺って熱心にお仕えするように命じたんだ。

[62]  ダモクレスのためには、香水と花冠が用意された。香が焚かれて、食卓には選りすぐりの料理が積み上げられた。ダモクレスは幸せだった。ところが、この贅沢三昧の最中に、ディオニュシオスは一本の馬の毛に結わえた抜き身の剣を、幸せな男の首筋のすぐ上の天井から吊るさせたんだよ。そうなるとダモクレスは美しい給仕たちと意匠を凝らした銀の皿も見ることも、料理に手を伸ばすこともなくなってしまったんだ。そのうち花冠は頭から滑り落ちてしまった。ついに彼はもう幸福にはなりたくないから帰らせて欲しいと僭主に懇願したんだ。

 ディオニュシオスは常に恐怖に怯えている人間に幸福はないと言いたかったのが分かるかい。おまけに、正義に立ち戻って自由と権利を市民に返すことは、彼には問題外だった。というのは、彼は少年時代に若気の至りで非行に引き込まれてから、さんざ悪事に手を染めていたので、正気に戻る事は自分の身を危険に晒すことだったからだよ。

二十二 [63]  だが、彼が友人の裏切りを恐れる一方で、どれほど友情に憧れていたかは、ピタゴラス派の二人の話から明らかだ。ディオニュシオスは死刑囚を保釈する代わりにその友人を人質にしたんだが、その死刑囚が処刑の時刻に戻ってきて人質を解放した時「私を君たちの友情に加えてもらえまいか」と言ったんだ(=『走れメロス』)。彼のように子供の頃から教育を受けて教養のある人間にとっては、友人との交際と共同生活と打ち解けた会話を欠くことが、どれほど不幸なことだったろうね。伝えによれば、実際、彼は熱心な音楽愛好家であったし、悲劇詩人でもあったんだ。

 彼がどの程度の詩人だったかは問題ではないんだよ。というのは、他の分野と違ってこの分野では、どういう訳か誰もが自分の作品を名作と思っているからだ。これまで私が知っている詩人で自分を最高の詩人だと思っていない人はいないんだよ。私はアクイニウス(=へぼ詩人として有名だった)と親しかったからよく知っているんだ。要するに自画自賛、我褒めの世界なんだ。ところで、ディオニュシオスに話を戻すと、彼は人間味のある生活をいっさい拒絶していた。彼は逃亡奴隷や犯罪者などの無教養な連中と共に暮らしていたんだ。なぜなら、自由な身分が相応しいような人間や、自由を手に入れたいと思っている人間が自分の友人になるとは思ってもみなかったからだよ。

二十三 [64]  私はこれほど残酷で惨めでおぞましい人生は思いつかないね。この人の人生をプラトンやアルキュタス(=前四世紀のピタゴラス派の哲学者)といった哲学者や賢者の人生と比べるつもりはない。ここでは二人より後の人だが、同じ出身の無名の数学者を紹介しよう。私は財務官のとき、シラクサの人々が知らないどころかそんなものはないと言っていた彼の墓をイバラの藪の中から発見したんだ。私は彼の墓石に刻まれていると言われる六脚詩を覚えていた。その詩には、墓の上に球と円柱が置かれているとあったんだ。

[65]  アクラガス門にはおびただしい数の墓があったが、目を凝らして見回すと、藪から僅かに頭を出している円柱に気がついた。その上に球と円柱の像があった。そこにはシラクサの主だった人たちも来ていたが、私はただちに彼らに私が探していた物はこれだと思うと言ったんだ。鎌をもった召使が送り込まれて、藪が払い除けられて、

[66] 道が切り開かれると、私たちは正面の台座に向かった。墓碑銘が見えたが、二行目の下半分は磨り減っていた。かつて学問の栄えたギリシャの有名な都市の人々が、彼らの最も才能ある市民の墓の事を、アルピヌムの出身者(=キケロ)に教えられるまでは知らなかったんだよ。だが、話が脱線したので元へ戻そう。およそミューズの神とつながりがあり、学問と教養に関わっている人なら、誰もがあの独裁者よりもこの数学者の方がましだと言うだろうね。

 もしも生き方と行動を問題にするなら、一方の精神は、最もおいしい心の糧(かて)である創意工夫の楽しみと原理の探求によって養われたのに対して、もう一方の精神は、昼夜を分かたず恐怖に付きまとわれて殺戮と残虐行為に明け暮れていた。さらにデモクリトスやピタゴラスやアナクサゴラスと比べてみたまえ。彼らの研究の楽しみよりもましなどんな王権、どんな富があるだろうか。

[67]  実際、君が求めている究極の善は必ずや人間の最善の部分(=精神)にあるはすだ。ところが、人間には賢明で善良な精神以上に善いものはない。だから、もし幸福になりたければ、私たちはそのような精神の善良さを享受すべきなんだ。ところで、精神の善良さとは徳のことだ。したがって、必然的に幸福な人生は徳にかかっている。その結果、美しいもの、高潔なもの、立派なものの全て(=徳)は喜びに満ちている。ところで、幸福な人生が永遠の豊かな喜びから成っていることは明らかだ。したがって、幸福な人生は高潔さ(=徳)から成っている。これは既に述べたことだが(=43節)、少し多めに述べてみたわけだ。

二十四 [68]  だが、私が言いたいことを分かってもらうために、理屈ばかり言うのはやめて、もっとすっと入ってくるような分かりやすい話をしよう。ここに一人の教養に溢れた立派な人がいると仮定しよう。そして、その人の事をしばらくの間想像してみよう。まず第一に、その人は高い知性の持ち主でなければならない。なぜなら、鈍い知性と徳はなかなか両立しないからだ。第二に、その人には真実の探求への熱意がなければならない。

 この真実の探求から、彼の心は次の三つの収穫を得る。第一は宇宙の知識と自然の解明(=物理)、第二は善悪の区別と善く生きる理論(=倫理)、第三は正確な議論と真理の判断に必要な一貫性と矛盾を見分ける能力だ(=論理)。

[69]  昼も夜もこんな事を考えている賢者の心はどんなに楽しいことだろうか。彼は、全宇宙の運動と回転を観察し、天空の決まった場所に固定された無数の星が天空と一緒に動くのを眺めて、さらに七つの惑星が互いに高度を違えながらそれぞれの進路を保ち、その名前に反して明確な一定の幅の中に進路を限定していることを観察する。昔の賢者はきっとこの光景に刺激されて、さらに多くの探求に乗り出したんだ。

 そこから、起源、つまり万物が誕生し増殖し成長する源の探求が始まったんだ。生物と無生物、喋る者と喋らぬ者のそれぞれの種の起源は何なのか。生と死とは何なのか。ある物から別の物への変態とは何なのか。大地の起源とは何なのか。大地の均衡を保っている重しとは何なのか。海の水を供給する地下の洞窟とは何なのか。万物を球の最深部である地球の中心に絶えず向ける重力とは何なのか。

二十五 [70]  昼夜を分かたずこれらの研究をする人は、有名なデルフィの神託(=汝自身を知れ)は「人間の精神は自分自身を知り、神の精神とのつながりを感じるべきだ。そこから尽きせぬ喜びが得られる」という意味だと知る。実際、神々の力と本質について考えることで、人は神々の不滅の生を自分も手に入れたいと熱望するようになる。そして、物事の原因は必然の連鎖によって互いにつながっているが、昔から永遠に続くその流れを人間の理性が制御している事を知る。すると、自分の存在がこの世の短い生に限られてはいないと思うようになるんだ。

[71]  賢者が天空を見上げて観察し、さらに世界のあらゆる地域を見回してから、再びもっと身近な人間のことを観察するときには、何と冷静な心になっていることだろうか。ここから、あの徳の知識(=倫理学)が生まれて、様々な種類の徳が花開き、自然が定めた究極の善と悪が明らかにされて、人間の義務の目的、人生の行動規範が明らかにされるんだ。そして、これらの探究から導かれる最も重要な結論は、私たちのこの対談の主題である「幸福に生きるためには徳だけで充分である」ということなんだ。

[72]  この次に三番目のもの(=論理学)が来る。それは賢者の活動のあらゆる分野で使われるものだ。私たちはそれによって定義し、分類し、一貫性を付けて、結論を導き、真偽を判別する。これは論述の仕方の知識だ。また、これは物事を考察する際にきわめて役立つもので、そこから英知にふさわしい気品のある喜びを生まれるんだ。ところで、ここまでは公職を離れた人のすることだ。しかし、この賢者に国家の運営を任せたらどうだろうか。彼は賢者の思慮分別で市民の利益を見分けることが出来るだろう。また、彼は賢者の正義感で市民の利益から私腹を肥やすことは一切ないだろう。さらに彼は賢者の様々な徳を生かして、最高の善政を実現するだろうね。

 この上に友情の楽しみが加わればどうだろう。賢者は友達付き合いによって、自分と気の合う一生の相談相手を手に入れるし、教養ある日々の生活から最高の喜びを得るだろう。いったい、このような人生をこれ以上幸福なものにするために何が必要だというのか。これほど多くの喜びに満ちた人生には、運命の女神も必ずや遠慮するだろうよ。だが、このような精神的な楽しみ、すなわち徳の楽しみを享受することが幸福であり、賢者は皆このような楽しみを享受しているとすれば、賢者は皆幸福であると認めなければならないだろう。

二十六 [73]  甲 拷問台の上で拷問されている時でも、そうなのでしょうか。

乙 君は、私がスミレやバラの上に横たわっている人のことを言っていると思ったのかい。エピクロスは哲学者の仮面をかぶった自称哲学者でしかないくせに、賢者はたとえ焼かれたり拷問にかけられたり切り刻まれても「こんなことは何ともない」といつでも叫ぶことが出来ると言っているんだ。その発言自体私は大いに賛成だが、彼がそんな事を言うのは許されない。なぜなら、エピクロスは全ての悪を痛みに、全ての善を快楽に限定し、私の言う高潔と恥辱を嘲り、私たちは言葉にこだわって無意味な事ばかり言っていると言って、私たち人間には肉体の快不快以外に大切な事はないと言う人なんだからね。

 前にも言ったように、その判断力は獣とあまり違わない彼なら、善悪の一切を運命の手に委ねると言いながら、我を忘れて運命の力を軽視していると言っても許されるのか。痛みは最大の悪であるだけでなく唯一の悪だと言いながら、拷問台の上で拷問にかけられても自分は幸福だと言っても許されるのか。

[74]  また、エピクロスは痛みに耐える対処法として、精神力や羞恥心も、忍耐の訓練と習慣も、男らしい頑健さも何も身につけずに、ただ過去の快楽を思い出すだけで心の安らぎが得られると言っているんだ。それは、耐え難い暑さで弱っている私に、むかし故郷のアルピヌムの冷たい流れに浸かった時のことを思い出せと言っているようなものだよ。しかし、どうして過去の快楽で現在の不幸を軽減できるのか私には分からない。

[75]  それにも関わらず、エピクロスは、もし一貫性を維持したければ言えないような事、つまり賢者は常に幸福だとを言っていいる。そんなことが許されるなら、徳以外は何も望むべきではないし徳以外は善に含めるべきではないと考える人々(=ストア派)は、全く何をか言わんやである。私としては、ペリパトス派と古アカデメイア派の人たちも口ごもることをやめて、幸福な人生はファラリスの牡牛(=拷問具)の中にもあると、はっきり公然と言ってもらいたい。

二十七 [76]  ストア派のやり方を私がいつもより多用しているのは私も知っている。そこで、ストア派のややこしい議論はやめにして、ペリパトス派の言うように、善には三種類あると仮定してみよう。ただし、そのうち肉体の善と外面的な善はレベルが低くて、単に「望ましい」(=47節)という理由で善の名前が付いているだけのものであり、心の善は神に匹敵する普遍的で天まで達するものなんだ。だから、心の善を獲得した人は幸福な人であるだけでなく完璧に幸福な人と言うべきなんだ。

 ところで、賢者は痛みを恐れるだろうか。というのは、賢者は常に幸福であるという考えにとって痛みは最大の敵だからだ。自分の死や身内の死、また悲しみなどの感情に対しては、先日来の議論によって私たちは心の武装、心の備えが充分出来ていると思う。それに対して、痛みは徳にとって最も手強い敵だと思うのだ。それは燃える松明を振りかざして、私たちの勇気と度量と忍耐力を危機に晒しかねない。

[77]  だからと言って、徳は痛みに屈服するだろうか。沈着冷静な賢者の幸福な人生が痛みによって乱されるだろうか。もしそうなら余りにも恥ずかいことだよ。スパルタ人の少年たちは鞭で打たれてずたずたにされても呻き声をあげないんだよ(=二巻34節)。私自身スパルタで若者の集団が、信じられないような闘争心に燃えて、拳と踵と爪とあげくに歯まで使って戦い、負けを認めずに命を落とすところを見たことがある。さらに、インドほど野蛮で荒廃した国はないが、そのインドで賢者と言われる人たちは生涯裸で過ごして、辛そうな素振り一つ見せずにヒンドゥークシュの雪にも厳しい寒さにも耐えて、最後には炎に身を投じて呻き声一つあげずに焼かれるのだ(=二巻52節)。

[78]  そのほかに、インドは一夫多妻制だが、夫が死ぬと妻たちは誰が夫に一番愛されていたかをめぐって争って裁判になる。裁判に勝った妻は親類に付き添われて嬉々として火葬の薪の上に登って夫の隣に横たわるんだ。一方、負けた妻は悲しげに立ち去るのさ。とはいえ、習慣が人間の本性に打ち勝ことは決してない。なぜなら、人間の本性は永遠に無敵だからだ。しかし、私たちの心は社会から隠退して暇にあかして贅沢にふけり無気力で怠惰な生活をしていると堕落してしまう。また、歪んだ考えと悪習に染まると軟弱になってしまう。

 エジプト人の習慣は君も知っているだろう。彼らの心は奇妙な迷信に染まっていて、トキとコブラと猫と犬とワニのどれかを傷付けた時にはみんな喜んで拷問を受けた。たとえ知らずにやった場合でも彼らは進んで罰を受けたんだよ。

[79]  ここまでは人間の話だが、獣はどうだろう。獣は寒さと飢えに耐え、山と森を駆け巡る放浪生活に耐えている。彼らは自分の子供のためなら、痛手を受けることを恐れず戦うし、攻撃されたらひるむことなく立ち向かう。野心家が地位のために、ポピュリストが名声のために、恋する男が欲望のために、全てを甘受し全てに耐えることは言うまでもない。これらの実際の例は枚挙に暇がない。

二十八 [80]  しかし、こんな話はやめて話を元に戻そう。私が言っているのは、幸福な人生は拷問台の上にも登るということだ。幸福な人生はいつも正義と節度、特に勇気と度量と忍耐心と歩みをともにする。拷問係の顔を見ても自分だけ立ち止まることはないんだ。全ての徳が少しもひるむことなく拷問台に向かったのに、前に述べたように、幸福な人生だけが牢獄の入口の外で立ち止まることはないんだ。実際、こんな立派な仲間と別れて、一人だけ外に残るほど醜く恥ずかしいことがあるだろうか。幸福な人生がそんな事をするわけがない。なぜなら、徳があるところには必ず幸福な人生があり、幸福な人生があるところに必ず徳があるからだよ。

[81]  つまり、徳は幸福に尻込みさせてはおかないんだ。どんな苦痛や拷問に遭うことになろうと、徳は自分たちが引っ立てられる所へ幸福を連れて行くのだ。なぜなら、賢者は後で後悔するようなことは決してしないからだ。賢者は何かを嫌々する事は決してない。何事も堂々と冷静かつ慎重にしかも誠実に行う。何かが必ず起こると思うようなことは決してなく、何が起ころうと予期せぬ不思議な事だと驚くこともない。全てを自分の判断に委ねて、一旦下した決断が揺らぐこともない。これが賢者だ。そして、これ以上に幸福な状態を少なくとも私は知らない。

[82]  ストア派の人々の推論は簡単だ。「究極の善は自然に従い自然と調和して生きることだ。それは賢者の義務であるだけでなく能力でもある。ここから必然的に、自分の能力の中に究極の善がある人は幸福な人生を送ることができる。したがって、賢者の人生は常に幸福である」。以上が幸福な人生についての一番有力な考え方であり、現状では最も真実らしい考え方であると思う。もっとも、君がもっといい考え方があると言うなら別だが。

二十九 甲 私にはもっといい考え方があるとは思えません。もしご面倒でなければ、あなたにお願いがあります。というのは、あなたが特定の学派のしがらみに囚われずに、真実らしさで心を打たれた物は何でも至る所から取り入れておられるからです。そこでお聞きします。先程あなたはペリパトス派と古アカデメイア派に対して「賢者は常に完璧に幸福である」と躊躇なく明確に言うことを勧めておられましたが、彼らがそう言っても一貫性を損なわない理由は何ですか。というのは、あなたは彼らの見解(=幸福に生きるためには徳だけで充分であるが完璧に幸福に生きるためには充分ではない。22節参照)をストア派の考え方に基づいてさんざん批判しておられたからです。

[83] 乙 では、哲学者の間では我々の学派だけに許されている自由を活用しよう。我々の議論は何事も独断せず、どんな権威にも縛られることなく、どんな問題もあらゆる面から自由に考察することにしている。君はおそらく、哲学者たちの間で善と悪の究極についてどんな異論があろうと、とにかく幸福に生きるには徳だけで充分であって欲しいのだろう。この問題はカルネアデスがいつも論じていたと聞いている。しかし、それはストア派に対する批判になってしまった。彼はいつも激しくストア派を批判していたし、ストア派の学説を批判することに才気を燃やしていたからね。しかし、私たちはこの問題について冷静に議論することにしよう。というのは、もしストア派による究極の善の定義が正しければ問題の片は付いていて、必然的に賢者は常に幸福であることになるからだ。

[84]  とはいえ、今回はほかの学派の考え方を一つ一つ点検してみよう。そして、この幸福な人生に関する素晴らしい教えが、他の学派の究極の善についての考え方や学説と調和するかどうか見てみよう。

三十 私の考えでは、究極の善について今でも言われていて支持されている考え方は次のとおりだ。まず、単純な四つの考え方がある。それは、徳以外に善はないというストア派の考え方、快楽以外に善はないというエピクロスの考え方、痛みのないこと以外に善はないというペリパトス派のヒエロニュモスの考え方、生まれつきの善(=肉体と精神の長所)の全てか大部分を享受していること以外に善はないというカルネアデスのストアに対立する考え方だ。

[85]  以上は単純な考え方だが、次は複合的な考え方だ。三種類の善があり、最も重要なものが心の善、第二が肉体の善、第三が外面的な善だというペリパトス派の考え方。古アカデメイア派の考え方もこれと殆ど同じだ。快楽と徳を組み合わせたデイノマコスとカッリポンの考え方。痛みのない事と徳を組み合わせたペリパトス派のディオドロスの考え方。これらの考え方は固定した支持がある。というのは、アリストン(上記)とピュロン(=二巻15)とヘリッロス(=ゼノンの弟子)などの考え方は廃れているからだ。

 ストア派の考え方はすでに充分に説明したので、それ以外の学派の考え方がどこまで有効か見てみよう。ペリパトス派の考え方も既に説明済みだね。女々しく痛みを恐れるテオフラストスとその支持者を除けば、ペリパトス派には徳の重要性とその価値を強調することが許されている。彼らは弁論家がやるように華々しく徳を天まで持ち上げる。そして、その時に徳との比較でそれ以外のものを易々と踏みつけにして軽蔑する。というのは、苦しみに耐えて徳を追求すべきと言う人たちは、徳を達成した人が幸福ではないとはもはや言えないからだ。なぜなら、こうして徳を達成した人は、たとえ多少の悪に取り囲まれていても、広い意味で幸福という言葉が当てはまるからなんだ。

三十一 というのは、例えば、商売で儲かったと言うのは全く損がないことではなく、農業で豊作と言うのは全く天候被害がないことではなく、どちらの場合もそれぞれ大半が順調だったことを言うんだ。それと同じように、人生が幸福だと言うのは何もかもうまく行っていることだけではなく、大部分がうまく行っていることも言うからだ。

[87]  だから、アリストテレスとクセノクラテスとスペウシッポスとポレモンを権威とするペリパトス派と古アカデメイア派の理論でも、幸福な人生は徳の後ろについて刑場まで行くだろうし、徳と一緒にファラリスの牡牛の中に入るのだ。幸福な人生は決して威嚇や甘言に惑わされて徳を見捨てることはない。カッリポンもディオドロスも同じ考えだよ。なぜなら、この二人は共に徳を非常に重視して、徳を欠いたものを遥かに低く位置付けているからだ。それ以外の哲学者たち、エピクロスとヒエロニュモス、それに忘れらたカルネアデスを擁護する人たちは、この問題で行き詰まっているように見えるが、何とかなりそうだ。というのは、彼らの誰もが心は真の善の判定者であると考えているし、外見上の善悪を軽視することを心に教えているからだ。

[88]  なぜなら、エピクロスについて言えることは、ヒエロニュモスとカルネアデスだけでなく残りのすべての哲学者にも言えるからだよ。つまり、彼らは死や痛みに対して充分備えが出来ているんだ。是非とも、私たちが女々しい快楽主義者と呼ぶ哲学者から始めよう。彼は自分の死ぬ日を幸福な日だと言っているんだ。彼は大きな痛みに襲われている時には、自分の数々の発見を思い出して痛みを押さえる。しかも、彼はそれをその場の思い付きで言ったのではない。君はそんな人が死や痛みを恐れていると思うだろうか。彼は生き物が消滅する時には感覚が無くなると言い、感覚が無くなった物は私たちには無意味だと言っている。痛みについても彼は確実な方法に従っている。というのは、彼は大きな痛みはその短さによって、長い痛みはその軽さによって緩和しているからだよ。

[89]  死と痛みというこの二つの最大の悩みに関しては、エピクロスは雄弁なストア派の人たちに比べて遜色がない。これ以外の悪に対しても、エピクロスや他の哲学者は充分な用意をしている。例えば、誰もが貧困を恐れるが、真の哲学者で貧困を恐れる人はいないんだよ。

三十二 実際エピクロス自身、実にわずかなもので満足している。彼ほど倹約について多くを語った人はいない。多くの人は女遊びや社交や日々の贅沢をしたくてお金を欲しがるが、エピクロスはそうしたことから無縁だ。だから、彼はお金を欲しがらないだけでなく、お金そのものに無関心なんだよ。

[90]  また、スキタイのアナカルシス(=ソロンと同時期の哲学者)ですら金銭を無意味なものと見ることが出来たのに、我が国の哲学者にそれが出来ないことはないだろう。彼の手紙が残っているが、そこにはこんなことが書いてある。「アナカルシスからハンノーさまへ。ご機嫌よう。私の服はスキタイのマント、私の靴は足の裏のたこ、私の寝床は地面、私の食前酒は空腹、私の食料は乳とチーズと肉だ。だから、のんびり暮らしている私の所に来て下さるのはいいのですが、あなたが選んだ贈り物はあなたの市民か不死なる神々にお贈り下さい」。生まれつきの邪悪さのために正気を失った人でなければ、あらゆる学派のほぼ全ての哲学者がこれと同じ考え方を持てるのだ。

[91]  大量の金銀が行列をなして運ばれているのを見たソクラテスは「私に必要のないものが何と沢山あることだろう」と言った。アレキサンダー大王の使者たちがクセノクラテスに五〇タラントの金を持ってきた時、それは当時のアテネでは大金だった。クセノクラテスは彼らをアカデメイアの食堂に招いたんだ。彼はたっぷり食事を出したがそれは質素なものだった。彼らが翌日誰に金を払えばいいか尋ねたところ、クセノクラテスはこう言ったんだ。「おや、昨日のささやかな食事から、私はお金なんか要らないことをお分かりにはなりませんか」。使者ががっかりしたのを見たクセノクラテスは、王の贈り物を拒否したと思われたくないので三十ミナ(=1/2タラント)だけ受け取ったという話だ。

[92]  一方、犬儒派のディオゲネスはもっとあからさまな言い方をしている。アレクサンドロス王が「何か欲しいものがあったら言え」とディオゲネスに尋ねた時、彼は「ちょっとお日様から離れてくれ」と言ったんだよ。王は日向ぼっこをしていたディオゲネスの陰になっていたんだ。実際、ディオゲネスは自分の人生がどれほどペルシャ王よりすぐれているかいつも語っていた。「私には不満なことは何もないが、王には満足ということがない。私は王の決して満たされない快楽など欲しくないが、王は私の快楽を決して手に入れることは出来ない」と。

[93]  君はエピクロスが欲望を分類したことを知っているはずだ。それは大ざっぱだが役に立つものだよ。一つ目は必要かつ自然な欲望、二つ目は不必要ではあるが自然な欲望、三つ目は不必要かつ不自然な欲望だ。必要な欲望を満たすには何も必要としない。というのは、自然の富が豊富に利用できるからだ。一方、二つ目の欲望は満たすのも難しくなければ、満たさず済ませるのも難しくない。三つ目の欲望はまったく無意味であり、不必要かつ不自然であるから、根こそぎ捨て去るべきものだ。

[94]  この問題についてエピクロス派の哲学者たちは詳しく論じている。彼らが軽視する欲望(=二番目)である快楽を一つ一つ名指しながらその価値を否定していくんだ。ところが彼らは現実には快楽を豊富に求めた。というのは、性的な快楽について彼らは次のように詳細に論じているからだ。つまり「そのような快楽は、満たすのが容易であり、ありふれた誰にも手の届くところにあるものだ。快楽への自然な欲求が生まれた場合には、出自や地位や序列ではなく、美しさや年齢や容姿という判断基準によるべきだ。健康や義務や評判のためにそれを控えるのは難しくない。それは邪魔にならないかぎり望ましいものではあるが、決して有益なものではない」と。

[95]  快楽についてエピクロスは概して次のように教えている。すなわち、快楽はそれが快楽である限りにおいて常に魅力的であり望ましいものだ。それと同じ様に、苦痛はそれが苦痛である限りにおいて常に望ましくないものだ。だから、賢者は両者の釣り合いを考えて、快楽でも痛みが大きいものは避けるし、痛みでも快楽が大きいものは受け入れる。そして、あらゆる快楽は肉体の感覚で判断されるが、それにも関わらず心を基準としているんだよ。

[96]  つまり、肉体は目の前の快楽を感じている間だけ喜びを感じるが、心は目の前の快楽を肉体と一緒に感じるだけでなく、将来の快楽を予想するし、過去の快楽を忘れ去ることもない。そのために、賢者は常に途切れなく続く快楽を享受することができるんだ。なぜなら、未来の快楽の期待と過去の快楽の思い出がつながっているからなんだ。

三十四 [97]  彼らはこれと似たようなことを食事に関しても言っている。人間は生来質素な暮らしで満足出来るから、豪華で贅沢な料理など必要ないと言うのだ。実際、空腹にまさる調味料はないことは誰でも知っている。

 ダレイオス王(=三世)は、敗走の途中で死体で汚された濁った水を飲んだとき、こんなに旨い水を飲んだことはないと言ったという。彼はそれまで喉が渇いてから水を飲んだことがなかったのだ。

 プトレマイオス王(=一世)も空腹になってから食事をしたことがなかった。エジプトを旅行して供の者からはぐれた時、彼は粗末な小屋で黒パンを出されたが、これほどおいしいものはないと思ったという。ソクラテスはいつも夕方まで頑張って散歩をしたが、その理由を尋ねられると、夕食をおいしく食べるために腹減らしの散歩していると答えたという。

[98]  さらに、私たちはスパルタ人の会食で出される料理がどんな物か知らないだろうか。シラクサの独裁者ディオニュシオス(=一世、スパルタと友好関係にあった)がそこで夕食をとった時、メイン料理の黒いスープが不味いと言った。すると、調理人が「それはそうでしょう。それは調味料が足りないからでございます」と言った。「それは何という調味料かね」と尋ねると「狩りで疲れて、汗をかいて、エウロタス川まで走って、腹を空かせて、喉が渇いていることでございます。こういうものでスパルタの料理は美味しくなるのでございます」。

 そして、この事(=生来質素な暮らしで満足できること)は人間だけでなく、獣たちを見ても分かる。獣たちは体に合わない物以外はどんな餌でも選り好みをせず喜んで食べるからだよ。

[99]  国民全体が慣習によって質素な暮らしを尊ぶように教育されていることがあるのは、いまスパルタ人について述べたとおりだ。ペルシャ人の食生活はクセノフォンが伝えているが、彼らはパンのおかずにクレソンしか食べないという(=『キュロスの教育』1巻2の8)。とはいえ、もっと旨いものに対する自然な欲求が生まれた時には、彼らのすぐ手の届くところに大地と樹木の甘美な果実が豊かに生育している。さらに、彼らはこの質素な食生活から乾いた体(=元気な体)と完璧な健康を手に入れているんだ。

[100]  大汗をかいて、げっぷを出して、太った牛のようにごちそうをたらふく食べた人間を彼らと比べてみるがいい。そうすれば、快楽は求めるほど得ることが少なく、食事の喜びは満腹からではなく空腹から得られることが分かるはずだ。

三十五 アテネの有名な将軍ティモテウス(=前4世紀の)は、プラトンの家で食事をして宴会で大いに楽しんだが、翌日プラトンに会って「あなたの宴会は、その時だけでなく翌日も楽しいですね」と言ったという。これは飲み過ぎ食べ過ぎは頭の働きによくないという意味だ。また、プラトンがディオン(=既出のディオニュシオスの忠臣)の親類に宛てた有名な手紙(=第七書簡326B)があるが、その中には次のような事が書かれている。「シシリアに着いたとき、私は当地のいわゆる幸福な生活が全く好きになれませんでした。イタリア料理とシラクサ料理を沢山食べて一日に二度も満腹になったり、一人で夜を過ごすことがなかったり、その他当地の生活に付き物の習慣があるのですが、こんな生活からは思慮分別のある人間はおろか、節度ある人間も生まれないでしょう。

[101] 「もしこんな生活をしながら節度ある人間になれるとしたら、驚くべき素質の持ち主ですよ」。思慮分別どころか節度のない生活など唾棄すべきものだ。富を極めたシリアの王サルダナパロス(=前7世紀のアッシリア王)の思い違いはそんな生活から生まれた。彼は自分の墓に次のように刻ませたのだ。

いま私の物と言えるのはかつて私が食べたものと、欲望の限りを尽くして楽しんだものだけだ。
残りの莫大な富は全部なくなってしまった。

 アリストテレスは「これは王の墓ではなくて、まさに牛の墓に刻むべき言葉だ」と言った。サルダナパロスが死後に自分の物と言えるのは、生前に一瞬味わったものだけだったのだ。

[102]  だから富は望むべきではない。貧しくても人は幸福になれるんだ。君は彫刻や絵画が好きだったね。こういう趣味の場合には、豊かな個人収集家よりも、何も持たない人の方が楽しむ機会は多い。なぜなら、私たちの町ではこれらの全てが公共の場所に大量に展示されているからだ。それに対して、個人の収集家は持てる量が限られているし、見る機会も多くなく、それも田舎の別荘に行った時くらいだ。ところが、彼らはそれをどうやって手に入れたかを思い出す時に良心の呵責に悩まされる。私が貧困の弁護をしようとすれば、とても一日では足りないだろう。しかし、事は明白だ。人は本来少しの物、些細な物、粗末な物しか必要としないのだ。私たちはそのことを自然から日々学ぶのだ。

三十六 [103]  では、無名であることや卑しい生まれや不人気といったことが賢者の幸福を妨げるだろうか。むしろ、大衆の人気も人々が熱望する名誉も喜びよりはむしろ面倒をもたらすかもしれないんだよ。実際、我らがデモステネスは、ギリシャの習慣で水運びをする貧しい女が別の女に「この人があのデモステネスよ」と囁いているのを耳にしてうれしかったと言ったのは軽率だった。大衆の人気ほど下らないものはない。確かに彼は偉大な弁論家だ。しかし、もちろん彼は他人の前で話すことを知っていたが、自分に言い聞かすことはよく知らなかったようだね。

[104]  要するに、大衆の人気を追い求めるべきではないし、無名であることを恐れるべきでもないのだ。デモクリトスは「私がアテネにやって来たとき誰も私のことを知らなかった」と言っている。無名を誇るとは何と毅然とした立派な男であろうか。笛吹きや竪琴弾きは大衆の好みではなくて自分の好みに合わせて曲やリズムを作るのに、遥かに高い教養をもつ賢者が真実ではなくて大衆の望んでいるものを追求するだろうか。労働者ややくざ者がばらばらでいるときは軽視するくせに、集団になると重視するのは実に馬鹿げたことだ。賢者は我々凡人が持つ野心とか虚栄心を蔑んで、大衆が恵んでくれるような名声を拒否する。一方、我々凡人は大衆がもたらす名声をなかなか軽視できない。その結果いつもあとになって後悔するのだ。

[105]  自然哲学者ヘラクレイトス(=前500年)は、エフェソスの才人ヘルモドロスについて次のように書いている。「エフェソス人は全員死刑になるべきだ。なぜならヘルモドロスを町から追放したとき、彼らは『私たちの町には優秀な人間など要らない。もしそんな奴がいればよその町に行ってよその人たちと暮らせばいい』と言ったからだ」。これはどこの国でも起こる事ではないだろうか。大衆は優れた徳の持ち主を憎むものだ。例えば(この国の例よりもギリシャ人の例を出そう)アリスティデスは正しすぎたから祖国を追放されたんだよ。大衆と一切関わりのない人は、どれほど多くの災難を免れていることか。実際、学問をして過ごす暇つぶしほど楽しい事はない。私の言う学問とは、無限の宇宙についての知識と、この世界の空と大地と海についての知識を得ることだ。

三十七 [106]  それゆえ、名声を軽蔑し金銭を軽蔑するなら、心配するべきものとして何が残っているだろうか。追放は確かに最大の不幸の一つだね。もしも大衆の悪意と敵意ゆえに追放は不幸な出来事だというなら、すでに言ったように、そんなものは無視すればいいんだ。もしも祖国から離れることが不幸なら、属州は不幸な人間で一杯だろうね。というのは、属州から祖国へ帰還する人は非常に少ないからだ。

[107]  しかし、「追放された人は財産を没収される」と言うかもしれない。だからどうだと言うのか。貧困に耐えることは充分述べたではないか。だが、もし名目上の不名誉ではなく事の本質を問題にするなら、追放は外国への移住と大して違わないんだよ。高名な哲学者の多くは一生外国暮らしをしている。クセノクラテスもクラントールもアルケシラオスもラキュデスもアリストテレスもテオフラストスもゼノンもクレアンテスもクリュシッポスもアンティパトロスもカルネアデスもクレイトマコスもフィロンもアンティオコスもパナイティオスもポセイドニオスも、その他数え切れない多くの哲学者たちは、祖国を出て二度と帰国しなかった。「しかし、彼らは不名誉な目には遭わなかった」と言うかもしれない。しかし、賢者は追放されても不名誉ではないんだ。というのは、賢者についてここまでずっと話してきたが、賢者が正当な理由で追放されることはありえないからだ。一方、正当な理由で追放された人を慰める必要はない。

[108]  最後に、快楽の追求を人生の目的にしている人たちの理論なら、追放だけでなくどんな不幸にも適用できるだろうね。彼らは快楽が得られる所ならどこでも幸福に生きられるからだよ。だから、テウクロスの次の言葉はどんな理論にも当てはまる。

楽しく暮らせるところなら
どこでも祖国である。

 ソクラテスは出身地を聞かれると「世界です」と答えたという。なぜなら、彼は自分のことを世界市民だと考えていたからなんだ。さらに、我が国のティトゥス・アルブキウス(=ローマの法務官、『善と悪の究極について』1巻8節以下)はアテネに亡命中に泰然自若として哲学を研究していたではないか。もっとも、彼はエピクロスの格言(=「隠れて活きよ」)に従って祖国で大人しくしていたら、追放されることはなかったんだが(=スカエウォラと争った)。

[109]  アテネに来て暮らしたメトロドロス(=ランプサコス出身)よりも、死ぬまで祖国(=アテネ)で暮らしたエピクロスの方が幸福だったろうか。プラトン(=アテネ)はクセノクラテス(=カルケドン出身)より幸福だったろうか。ポレモン(=アテネ)はアルケシラオス(=アイオリス出身)より幸福だったろうか。そもそも立派な人間や賢者を追放するような国に何の値打ちがあるだろうか。我が国の王タルクイニウスの父親ダマラトスは、コリントにいたころ僭主キュプセロスに我慢がならずにコリントからローマのタルクイニーに亡命した。彼はそこで財を成して子供を儲けた。祖国での隷属よりも亡命者の自由を選んだ彼は賢明だったのではないだろうか。

三十八 [110]  楽しい事に心を向けていれば不安や悲しみといった感情はいつの間にか忘れることができるんだよ。だから、エピクロスは「賢者はいつも多くの楽しい事に囲まれているから、いつも多くの善に囲まれている」と言えたんだ。だから、私たちと同じくエピクロスの考えでも、賢者は常に幸福なんだよ。

[111]  しかし、「賢者は例えば視覚や聴覚を失っても幸福だろうか」と言うかもしれない。もちろん賢者は幸福だよ。なぜなら、賢者はそんな物は軽視するからだ。第一、君の恐れる失明によって失われる喜びとはどんなものだろうか。ある人の説では、他の感覚の喜びは感覚自体の中に宿るが、目で見たものの喜びは目自身の中にはない。味とか臭いとか手触りとか音などは感じた所に留まっているが、目で見たものの場合はそうではない。

 私たちが目で見たものは心に渡されるんだ。一方、心は目を使わなくても色んな方法で楽しむことができる。私がここで言っているのは、思索のうちに人生を送る哲学者のことだ。そして、物を探求する時に賢者の思考力は視力の助けを殆ど必要としない。

[112]  実際、夜になったからといって人は不幸にならないから、昼間が夜と似たようになったからといってどうして人が不幸になるだろうか。キュレネ派のアンティパトロスの次の言葉は少々下品ではあるが間違いではない。彼の失明を嘆き悲しむ女たちに彼はこう言ったんだ。「何を言っているんだ。夜には何の楽しみもないと思っているのかね」。有名な老アッピウスは長年の間盲目で過ごしたが、何度も政務官になって多くの業績を残している。彼がそんな不幸の中でも公私の義務をなおざりにしなかったのは明らかだ。

 ガイウス・ドルスス(=前一世紀のローマの政治家)の家は相談客でいつも満員だったと言われているね。客たちは自分の事が自分で見えなくなったので、盲人に指導を仰ぎに来ていたのだ。私が少年の頃、失明した前法務官グナエウス・アウフィディウスは、元老院で自分の意見を述べたり、相談に来る友人に助言を惜しまなかった。また、ギリシャ語で歴史を書いたり、文学に慧眼を持った人だった。  

三十九 [113]  盲のストア派哲学者ディオドトスは長年私の家で暮らしていたんだよ。信じがたい事だが、彼は目が見えた時よりはるかに熱心に哲学の研究をしたんだ。また、ピタゴラス派の流儀で竪琴を弾き、夜も昼も人に本を朗読させたんだ。彼はこれらの事をするのに目を必要としなかった。その上、彼は目が見えなければ難しいと思えることをしたんだ。つまり、幾何学を教えて、どこからどこへ線を引けと生徒に言葉で指図したんだよ。

 また、名の知られたエレトリア派の哲学者アスクレピアデスは、「目が見えなくなってお困りでしょう」とある人に言われて、「付き添いの少年が一人増えただけですよ」と答えたという。一部のギリシャ人がローマで毎日していること(=居候、食客)が私たちにも許されるなら、極貧さえも耐えられるだろう。それと同じように、盲目も介護さえあれば容易に耐えられるものだよ。

[114]  デモクリトスが失明した時には確かに白黒の識別は出来なくなったが、善悪、徳と不道徳、有益と無益、大小の区別はできた。幸福な人生のために必要なのは、色が見分けられることではなくて、世の出来事が識別できることなんだよ。その上、彼は精神の集中は視覚によって乱されると考えていた。そして、ほかの人たちはしばしば自分の足元にある物さえ見ないのに対して、彼は果てしない無限のかなたを眺めていたんだ。

 ホメロスも盲目だったと言われているね。でも、私たちはホメロスの詩ではなくホメロスの絵を見ているんだ。ギリシャのどの地域もどの海岸もどの場所も、どんな種類のどんな戦闘もどんな隊形も、どの船も、人間や獣のどの動きも、ホメロスは非常に鮮明に描いた。その結果、ホメロスは自分には見えないものを私たちに見せてくれたんだよ。だから、ホメロスや盲の哲学者に心の喜びや楽しみがなかったとは私には思えないんだ。

[115]  そうでなければ、アナクサゴラスもデモクリトスも、自分の土地と財産を捨てて、この学問の素晴らしい喜びに全身全霊を捧げただろうか。詩人たちが賢者として描く予言者テイレシアスが自分の盲目を嘆かないのも同じ理由からだ。一方、ホメロスが粗暴な巨人として描いたポリュフェーモスは(=オデュッセウスに目を潰されている)、牡羊に話し掛けて「お前は好きな所に行けて、したい事が出来るから幸せだな」と言っている。これは当然だ。なぜなら、この一つ目巨人には牡羊ほどの思考力しかなかったからだよ。

四十 [116]  また、耳が聞こえないことに何か不幸なことがあるだろうか。マルクス・クラッススは耳が遠かった。しかし、それより不幸なことが別にあったんだ。彼は私にも不当に思える悪口を言われていたんだ。また、我が国の人たちは一般的にギリシャ語が分からないし、ギリシャの人たちはラテン語が分からない。だから、私たちは彼らの言葉に関しては聾であり、彼らは私たちの言葉に関しては聾だと言える。同じ様にして、私たちは理解できない無数の言葉に関しては疑いなく聾なんだ。

 「聾は歌手の歌を聴くことができない」と言うかもしれない。しかし、鋸の目立てをする時にキーキーいう音も、豚を殺す時にブーブー鳴く声も、眠りたい時に海鳴りのざわめきの音も聾には聞こえないんだ。もし歌が好きなのに聾になったら、まず第一に、そんな歌が生まれる前も多くの賢者は幸福に暮らしていたことを考えたらいい。次に、歌は耳で聴くよりは目で読む方がずっと楽しいことを考えたらいいんだ。

[117]  つまり、先程私たちは盲人の心を耳の楽しみへ向けたのと同じように、聾の人の心は目の楽しみへ導くことができるんだ。実際、自分自身と会話できる人なら、他人との会話が出来なくなっても困ることはないだろう。

 この二つの不幸が全部一人の人に降り掛かって、視覚も聴覚も奪われて、その上肉体の激痛に苦しむとしたらどうだろう。まずそれだけでその人は参ってしまうだろう。だが、もしその激痛が長引いて、どうやって耐えたらいいか分からないほど激しく痛むとすれば、いったい、私たちは何を悩むことがあるだろうか。避難所は近くにあるからだよ。というのは、死とは永遠に何も感じなくなる避難所だからだ。

 テオドロス(=キュレネ派の哲学者)は「殺すぞ」と脅すリュシマコス(=ディアドコイの一人、前3世紀のマケドニアとトラキアの王。両者は一巻に既出)に「サソリと同じ事が出来るとは、あなたはすごいですね」と言ったという話がある。

[118]  「私を凱旋式で見せ物にしないでくれ」と懇願するペルセウス(=前168年、マケドニアの王)に対して、パウルス・マケドニクスは「それはあなた自身の問題だ」と言ったというのだ。

 この対談の第一日目に死について議論した時、私たちは死について散々話したし、その翌日痛みについて議論した時にも死について色々話をした。それを覚えているなら、死を望ましくない事と考えたりしないし、少なくとも死を恐ろしい事と考えるはずはないのだ。

 私はギリシャ人の宴会で守られているルールを人生に適用すべきだと思っている。それは「飲まない奴は帰れ」というものだ。これは実にいいルールだよ。他の人と共に宴会を楽しめないなら、しらふで酔っ払いに絡まれる前に帰るべきだと言うんだ。それと同じように、人生もさっさとおさらばして、耐え難い運命の仕打ちを避けるべきなのだ。これはまさにエピクロスが言っている事だが、ヒエロニュモス(=ペリパトス派)も全く同じ事を言っているよ。

[119]  哲学者の中には、徳だけでは何の価値もないと言い、高潔で賞賛に値すると私たちが言うものは中身のない言葉のまやかしだと言う人がいるが、それにもかかわらず、彼らは賢者は常に幸福であると考えている。だとすれば、ソクラテスやプラトンの後に続く哲学者たちは何をか言わんやだ(=75節と同じ)。

 その中でも、ある人たちは三つの善の中では心の善が最も優れていて、肉体の善と外面的な善は心の善から見れば影が薄いと言い(=ペリパトス派と古アカデメイア派)、ある人たちは肉体の善と外面的な善は善ではないと言い、心の善だけが善だと言っている(ストア派)。

[120]  この両者の論争の裁き手として現れたのがカルネアデスだった。ペリパトス派が善と見做したものはどれもストア派によって「望ましい」ものと見做されているし(=47節、76節)、ペリパトス派は富や健康その他この種のものにストア派と同程度の価値しか置いていないから、カルネアデスは、言葉ではなく中身を考えるなら、両者に意見の相違が生ずる理由はないと言ったんだ。だから、それ以外の学派の哲学者がこの点(=賢者は常に幸福である)をどう主張するかは、彼ら自身に任せればいい。ただ、賢者は常に善く生きられることについて、彼らが哲学者の発言としてふさわしいことを公言していることを幸いとする次第だ。

[121]  さて、私たちは朝には出発しなければならないから、この五日間の対談を記憶にとどめておくことにしよう。私としては、これをいつか書き残そうと思っている。原因が何であれ、この暇をこれ以上有効に利用する方法はないからだ。

 わがブルータス君には、また五巻の書を送ることになるだろう(=『善と悪の究極について』に続いて)。私は彼によって哲学の著作を勧められただけでなく、彼から刺激を受けたからだ。これがどの程度他人の役に立つかは、私にはすぐには言えない。ただ、この耐えがたい悲しみと、自分を取り巻く困難の中で、私が安らぎを得る方法が他には見つからなかったのは確かだ。

Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2016.3.17-5.26

メール

Cicero The Latin Library The Classics Page

inserted by FC2 system